あと何回『「ネタ」が「マジ」を上書きする世界っていいですよね!』と言えばいいのか。

http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20150728/1438129320




まずhttp://h.hatena.ne.jp/yellowbell/299886360277505885に対してhttp://b.hatena.ne.jp/entry/260455888/comment/rag_enとコメントした件について。

もちろんyellowbell氏は、rag_en氏が読みとったような主張はしていない。

「圧倒的な物量と優秀な装備で、旧態の戦術や貧弱な装備の軍隊を蹂躙する」だけの段階では、あくまで「仮想戦記でよくつかわれる舞台装置」と書いている。作品への個別評価として「素朴」とつけくわえているだけだ。


最後に「ネトウヨ文学」という言葉を出しているが、「ポリティカルなフェーズ」や「日本以外全部沈没を思い出すカリカチュア」という根拠をはさんでいる。それぞれ根拠として具体性に欠けるという批判ならば理解はする。しかし新しいジャンル「ネトウヨ文学」へ位置づける根拠は「ポリティカル」にあり、古いジャンル「仮想戦記」とむすびつけている「蹂躙」は別個と気づくべきだろう。

先に前半の結論だけ書くと、hokke-ookamiさんによる↑の「読解」は残念ですね、という話です。







以下、半ば全文引用という形になってしまい申し訳ないのだけれど


http://h.hatena.ne.jp/yellowbell/299886360277505885

「圧倒的な物量と優秀な装備で、旧態の戦術や貧弱な装備の軍隊を蹂躙する」というのは、WW2のときの米国軍へのコンプレックスからか、仮想戦記でよくつかわれる舞台装置だけれども、これだけ素朴になぎはらえーをやってしまっている物語が世に出てしまった喜劇に、喜んでいいんだか悲しむべきなんだか、ほんとなんだこれどうすんのこれ。

まず“素朴”というのはyellowbellさんによる(作中描写に対する)「読解」であって、「蹂躙」の“評価”ではありません。yellowbellさんによる“評価”は“ほんとなんだこれどうすんのこれ”の方です。


記述のみであれば単純に「困惑」と解することも不可能ではありませんが、http://h.hatena.ne.jp/yellowbell/11539586800175745164からの流れだと理解していれば、恐らくは「蹂躙」についての否定的“評価”としてのそれであると理解できます。*1




また

特にポリティカルなフェーズには失笑を越えた新しい地平が見えました。日本以外全部沈没を思い出すカリカチュアです。

これも(yellowbellさんがGATEを「ネトウヨ文学」であるとしている)“根拠”のひとつである、という事については否定しませんが、その事は「蹂躙」を(yellowbellさんがGATEを「ネトウヨ文学」であるとしている)“根拠”としていない理由には一切なりません。*2


つまり、これをもってして「yellowbellさんは、『現代兵器で旧式軍隊をフルボッコ→ネトウヨ文学だ!』という主張はしていない。」とするのは不可能です。





さて、


http://h.hatena.ne.jp/yellowbell/316622785203223397

何かが攻めてきーの同胞が殺されーの迎え撃ちーの撃退しーの今度は戦争だで敵地に乗り込みーのよくもやりやがったなでぶち殺しーのスカッとしーのエンドマーク的なストーリーラインを右翼系エンタメと一括りにすると怒られますが
(中略)
対して、だからといって左翼的とは言わないんでしょうけども、視聴者の感情に反して主人公たちの行動があえて忍従に振れることで視聴者の理性に呼びかけ許しという昇華のカタルシスをもたらす作品群もあります。

断定こそさけていますが、yellowbellさんにとって“何かが攻めてきーの同胞が殺されーの迎え撃ちーの撃退しーの今度は戦争だで敵地に乗り込みーのよくもやりやがったなでぶち殺しーのスカッとしーのエンドマーク的なストーリーライン”は、“右翼系エンタメ”として括られる要素である事に間違いはなさそうです。これは、対照的な作品群*3について“だからといって左翼的とは言わないんでしょうけども”と、わざわざ付け加えている事からも読解する事ができます。


まぁ、“右翼系エンタメ”と「ネトウヨ文学」は別物だ!と強弁するのであれば、もう構いませんが。





http://h.hatena.ne.jp/yellowbell/299857431914056420
http://h.hatena.ne.jp/yellowbell/81819878284058987
http://h.hatena.ne.jp/yellowbell/243615214030108942


端的に意訳してしまえば『「蹂躙」描写に関する「気の使い方」』の話です。そのうえでyellowbellさんは


http://h.hatena.ne.jp/yellowbell/299857433271893267

(前略)誤解を受けないよう入念な演出にしています。
僕が漫画版を以ってネトウヨ文学と揶揄した上で、アニメ版を面白いと評したのは、こうした入念さが見えたからです。

と述べています。つまり裏を返せば、“入念”な「気の使い方」を実装しない限り(yellowbellさん曰く)「蹂躙」は「ネトウヨ文学」(と揶揄される存在)である、という事です。




















では次に、http://b.hatena.ne.jp/entry/www.sankei.com/politics/news/150725/plt1507250002-n1.htmlに対してhttp://b.hatena.ne.jp/entry/260589121/comment/rag_enとコメントした件について。



最初に指摘すると、「忌まわしき」という表現は、自民党関係者がアウシュビッツと比べて否定した表現だ*1。つまりアウシュビッツが「忌まわしき」ものだという含意がある。

はぁ、そうですね。


『「絶対悪」の設定』とrag_en氏はコメントしているが、ならばまず自民党関係者を批判しなければおかしい。

全 く 意 味 が 分 か ら な い。
“『「絶対悪」の設定』問題”という観測された*4現象をコメントしたら、『ならばまず「誰」を批判しなければおかしい』となる理路が謎すぎます。


もちろん、<それは『はてブにおいて観測される「特攻」に対する「絶対悪」設定』についてのコメントではあるが、そのコメントは『記事中において観測される「アウシュビッツ」の「絶対悪」設定』についても適用されるのではないか?>という指摘であればその通りですし、勝手に適用してもらっても構いません。ただし、『(“『「絶対悪」の設定』問題”とコメントしたrag_enは)まず「誰」を批判しなければおかしい』という物言いは単なる態度問題化であり、明確に残念な思考です。



次に、自己犠牲に感動してしまうことと、それをさせた社会が忌まわしいと評価することは矛盾しない。

これは「主語が曖昧」案件ですね。
また、「矛盾する・しない」の話は全くしていませんね。こちらは“「忌まわしきシーン」みたいな扱いなんのかな”と述べており、それ以上でもそれ以下でもありません。

感動ゆえに批判できなくなるのだとすれば、そのような問題は解消されにくいからこそ、より意識的に批判するべきという考えだってできる。

意識高い型わろ。
「アナタ」が“より意識的に批判する”のは自由ですが、「アナタ」以外の「誰か」までそのように“するべき”理由は一切ありません。






また、しょせんrag_en氏の感想は「個人的」なものでしかない。

そりゃせやろ、としか。なんで個人の感想文に“しょせん”とか言われれるのか知りませんけど。




そもそもrag_en氏のもちだした特攻は、知覧の特攻とは構図が異なる。
リーンホースJr.とは、末端の兵士が操縦する兵器ではなく、レジスタンスの将兵が乗る旗艦なのだから。

特攻を決めて最後までつきあったのは、艦橋にいる上層部だけ。あえて老人ばかり残り、若者は退艦させられた。主人公をはじめとした子供を戦争に利用した人々が*5、その責任をとるように死んでいった。
もちろんリーンホースJr.の艦長らは、勝利のために命をなげうったのであり、目的を捨てて子供たちを守るような贖罪ではなかったかもしれない。しかし継続的な作戦として兵士に自爆攻撃を強要したこととは違うのだ。

“違うのだ”   …で?



いや、本当に「で?」。
その続きを書いて頂かないと、何を仰りたいのか全く理解できません。二つの「事柄」の差異が挙げられているところまでは理解するとして、『だから、片方は感動し、もう片方は感動しない』なのか、『だから、片方は忌まわしき事で、もう片方はそうでもない事』なのか。それとも他の何かなのか。



とりあえずrag_en氏には虚構と現実の区別をつけてほしい。
区別ができてこそ、現実を虚構でなぞらえたり、虚構を読みとくため現実を援用できる。

これはどういった意味で仰っているのでしょうか。まさか『「虚構」と「現実」で二分される』とでも考えておられるのでしょうか。



この辺りに関しては、とっくの昔に

虚構へのリテラシーも現実へのリテラシーも必要だ - ビジネスから1000000光年

もう最近だけでこれ書くの3回目くらいだが、いいかげん『「虚構」と「現実」』みたいな言い方はなんとかならんのですかね。そろそろ、いつも「現実」とか呼ばれてるものにもタイトルをつけるべき。

2009/06/15 23:32

と指摘してあります。もし未だに『「虚構」と「現実」で二分される』とお考えでしたら、それは「思考が残念ですね」としか申し上げようがありません。


“虚構と現実の区別”という言い方は正確性に欠けます。より正しく述べるならば、せめて例えば『「虚構A」と「現実」の区別』とするべきです。またそれは『「虚構A」と「虚構B」の区別』と同程度の意味である、という事も理解してください。





最初に引用したような、他人の作品評価を揶揄するコメントは、まず自分ができることをやってからだ。

こちらのコメントhttp://b.hatena.ne.jp/entry/260455888/comment/rag_enを無根拠に“揶揄”として断定するのはやめてください。根拠があるならば提示してください。







そして「絶対悪」が決定できないというならば、忌まわしさの比較でアウシュビッツと知覧をならべることを拒絶できない。

あくまでそれが「価値観の自由競争」の範疇であるならば、どうぞご自由に。
そしてそれは同時に、「価値観の自由競争」において『「虚構A」と「現実」』が並列に扱われる事も“拒絶できない”と、そう理解してください。

*1:対象を否定的に言うときの「なんじゃこれ」ってやつ。

*2:そもそも“ポリティカルなフェーズ”とかいうのが謎なので、こちらとしてはその箇所をどうこう言うつもりは無い。

*3:“視聴者の感情に反して主人公たちの行動があえて忍従に振れることで視聴者の理性に呼びかけ許しという昇華のカタルシスをもたらす作品群”の事ね。

*4:もちろん「はてブにおいて」という意味。