続・muchonovさんの提示した「判断力が未熟だから」論法では、年齢による“パターナリズム”を肯定するのは無理があるよという話と、あとリテラシー

FF7に関するネタバレがあります。



https://anond.hatelabo.jp/20210805095803

まず「書け書け」とは申し上げていないので、はっきり言って嘘ですね。


自分が増田で書いた文章「子供の権利は制限されているし、性行為に伴うリスクを判断できない」の位置づけなんですが、これはmuchonovが何か新しい提案をしたぞとか、今からそういう社会を作るぞ、という内容ではありません。このスレッドの親増田の「なぜ、子供が性を売ってはいけないのか」という疑問への応答として、今の社会がそういう風になっている理由として、法律的・社会的にこのような背景がありますよ、と説明するものです。言い換えると、これは〈べき論〉ではなく〈である論〉のつもりで書いたものです。

正直、こんな感じの言い訳はしてくるだろうなと予想してましたが、本当にきました。というのも、このひとつ前のコメントが

されてるなら、流石に自己評価が高すぎでやっぱりわろ。/ブログでもお得意(?)の増田でも好きな所で書けばよいのでは?別に強制はしませんが。少なくとも今はmuchonovさんの主張が間違いだという事実があるだけなので。 - rag_en のブックマーク / はてなブックマーク

rag_enさんが言う「muchonovさんの主張」って、「一定年齢以下の児童は、その判断能力の未熟さを考慮し、パターナリズムに基づいて性的自己決定権を一部制限される」ですか? で、これが「間違い」だと仰っている?

2021/08/04 08:16

だったんですよね。

これ、一見すると「YES」と答えそうになるんですが、罠です。そう答えてしまうと『rag_enは「一定年齢以下の児童は、その判断能力の未熟さを考慮し、パターナリズムに基づいて性的自己決定権を一部制限される」という秩序が現行で存在している事を否定している、嘘吐きだ』となるわけですね。まぁ狡い手だなとは思いましたが、普通にスルー。


さて、上記のmuchonovさんによる“言い訳”ですが、残念ながら成立しません。


muchonovさんの増田https://anond.hatelabo.jp/20200123091017は今現在、少なくとも二つの対象への「応答」になっています。ひとつはもちろん元増田のhttps://anond.hatelabo.jp/20181106132747

もうひとつは

[B! 立憲民主党] 立民・本多氏「12歳と21歳だってないとはいえない」 WT寺田座長が意見書 - 産経ニュース

未成年は限定行為能力者で、特にお金や興味目的に成人を性行為に誘うリスクベネフィットを適切に評価できない可能性が高く(詳しくは https://anond.hatelabo.jp/20200123091017 に書いた)だから諸々の自己決定権が制約されてる。

2021/07/26 19:35

で参照した事による、最近の性的同意年齢や自己決定権*1の話題に対してです。


そしてその二つの対象はどちらも〈べき論〉なのです。つまりそれに対する応答は必然的に〈べき論〉になります。

元増田の記事を少し見てみましょう。

そもそも「なぜ、子供が性を売ってはいけないのか?」っていうのが根本的に疑問。
もちろん主体的・自主的に売る場合で、男女問わずな。


誰か、納得いく答え出せるヤツいる?
「法律で定められているから」って回答は駄目な。
その法律が立法された背景には、それが定められた理由が存在するはずで、俺が知りたいのはその部分だから。

・「子供は性的主体性を持つには未熟であり、誤った判断により一生のトラウマを植え付けられる可能性があるから」
どうだろう?ちょっと子供の判断力をナメすぎではないだろうか。
レイプされたとか、暴力や貧困等で強制された関係であるならともかく、自分から主体的に性を売る場合、そのような傷を負うとは考えにくい。
子供側は軽い遊びや小遣い稼ぎのつもりでも、暴力的な悪い大人に出会ってしまう可能性がある?それこそ、前述したように法整備されていない故の問題で、因果が逆。

端的に言えば、既存の秩序への疑問です。
そして、その疑問への反論としての応答は当然の事ながら、その既存の秩序を肯定する〈べき論〉が必要なわけで、実際にmuchonovさんも中絶件数などを提示してそれを試みているのです(生憎、その試みはmuchonovさん自身の“視野狭窄”により失敗に終わっていますが)。

言うなれば、muchonovさんによる増田https://anond.hatelabo.jp/20200123091017での言説は〈である論〉ではなく〈であるべき論〉です。


そしてここが非常にややこしいのですが、〈であるべき論〉でもって〈である論〉を肯定し、その〈である論〉によって対象の〈べき論〉を否定するという〈べき論〉を行っているのです。わけがわからないですね。


具体的に言うと、『中絶件数等の「数字」による未成年者の判断力の未熟さの提示』でもって『年齢による“パターナリズム”』を肯定し、その『年齢による“パターナリズム”』によって対象の『既存の秩序(=“パターナリズム”)への疑問』を否定するという『既存の秩序(=“パターナリズム”)を維持すべき』論を行っているのです。



もしかしてrag_enさんには、「パターナリズム」という概念について重大な誤認がありませんか。rag_enさんが「“パターナリズム”などという手段を用いる必要は全くありません」という主張とともに、代案として展開されている「判断力によって(ある問題についての当事者能力や責任能力の有無を)峻別する」、そして、判断力がないとみなした対象の自由権を(当人の保護のために)何らかの形で制限する…という考え方は、まさに『パターナリズム』そのものではないですか?

これも、界隈が稀によくやる『定義問題化して誤魔化す』というやつですね。


代表的な例としては、「フェミ(ニズム/ニスト)」というワードにおけるそれでしょうか。

本題ではないのでざっくりと例示しますが、『「女性表象」の使用・消費の自由に制限を加えたい』的な主旨の頓珍漢な主張等をする「フェミ」が批判・問題視されている場合に、「そうではないフェミだっている、主語デカだ」などと言って、フェミ(ニズム/ニスト)という呼称での批判を回避しようとする、問題視されてる事柄よりもその「看板」を守る事に拘泥する、そしてどさくさで問題視されている「そうであるフェミ」へ批判も回避しようとする、といった様なケースがイメージしやすいと思います。



実のところ、こういったやり口も想定済みでしたので、(こちらの記述ミスさえなければ)恐らく前の記事の全ての“パターナリズム”というワードにダブルクォーテーション(引用符) がついているはずです。
つまり、ここで言う“パターナリズム”とは、muchonovさんの掲げた年齢によるそれの事であり、それ以外の事ではありません。


例えば、専門家と素人(医者と患者の例などがよく言われるか)の関係にあるパターナリズムなどについては、是も非も何も述べていません。





そして更に言えば、「自己決定権が行為のリスクと判断能力に応じて一定程度制約される」事自体、肯定も否定も何も述べていません。その事は前の記事で明確に申し上げています。

ここまでで導き出せる結論は『muchonovさんの提示した「判断力が未熟だから」論法では、年齢による“パターナリズム”を肯定するのは無理がある』であって、「自己決定権が行為のリスクと判断能力に応じて一定程度制約される」事自体は肯定も否定も記述されていません。読解力が低すぎます。

もし仮に例えば、muchonovさんが『未成年には精霊の加護がついていて、性行為によって失われてしまう』などと主張されていたとするならば、『ではその精霊を顕現させてみてください』『そもそも加護がなくて何か困るんですか?』等とツッコミを入れていたでしょうし、『成人の粘膜には未成年にとって毒になるものが含まれている、粘膜接触は避けるべきだ』などと主張されていたとすれば、『その毒とやらは科学的な根拠があるのですか?』と伺ったでしょう。

muchonovさんが「判断力が未熟だから」論法で年齢による“パターナリズム”を肯定したから、こちらはその事について指摘した、これはそういう話です。

これを読んだうえで

代案として展開されている「判断力によって(ある問題についての当事者能力や責任能力の有無を)峻別する」、そして、判断力がないとみなした対象の自由権を(当人の保護のために)何らかの形で制限する…という考え方は、まさに『パターナリズム』そのものではないですか?

などと仰ってしまうのは、やはり読解力が低すぎます。





ところで先日、たまたま読んだブログ記事で「思想家カードゲーム」というフレーズを見かけました。

ちょっと、誰が言った言葉なのか正確には覚えていないのですが、ある日本の思想家は「日本の現代思想界隈は、まるでカードゲームのように思想を扱っている」と言っていました。
例えば、ある人が「マルクスを召喚して自分の主張を証明!」と言うと、また別の人が「ハイエクを召喚してその主張を論破!」というように、まるで海外の思想家や理論をカードのように取り扱って、「どのカードを使えば敵のカードに勝てるか」ということを競い合うゲームをずっとやってるみたいだと、そう日本の現代思想を皮肉ったのです。

https://amamako.hateblo.jp/entry/2021/07/21/180748

いわゆる権威主義*2な何かの事だと思いますが、面白い呼称ですね。さて、これを踏まえたうえでmuchonovさんの論法を見ていきます。

現行の日本の法律が、年齢によってその人物の判断能力を推認し、それが十分でないとされた年齢に属する児童を保護するために彼らの自由権を一部制約するのも、別の方法で判断能力を吟味・裁定し(たとえば精神的な障害を持つ人や依存症に苦しむ人や認知症患者などを、家裁の判断によって成年被後見人とすることなど)、彼らを保護するために彼らの自由権を一部制約するのも、どちらも法学の分野でいう「弱いパターナリズム」だと思います。

そして、未成年や年齢が低い児童の判断能力が不十分とみなされる理由は、法学の世界では、彼らの判断が、それ以上の年齢層による判断に比べ、①知識や情報を得た上での判断・②適切な理解に基づく判断・③強要なき自律的判断・④実質上も自発的な判断ではない可能性が高く、それによって、当事者自身が想定しない結果や不利益をもたらすリスクが懸念されているからです。

そして、未成年者や特定年齢に満たない児童に対する「弱いパターナリズム」に基づく人権制約は、日本を含め、大半の近代国家の法制度に含まれています

赤文字化は引用者によるもの


権威の対象が思想家ではないですが(いや、それよりも更に権威的か)、めちゃくちゃ「カードゲーム」してますよね、っていうか「カードゲーム」しかしてませんよね、これ。


誤解の無いように言っておきますが、別に何かを参照する事自体を否定しているわけではありません。声優の出演情報を知りたければWikipediaでも参照すればよいし、ゲームの攻略情報を知りたければ攻略サイトwikiの類を参照すればよい。順当な事だと思います。

『1.真理・真実が存在する』『2.その真理・真実を追究する』『3.真理・真実の追究のために先達の 2 を参照する』のであれば、つまり具体的に言えば『1.エアリスが死なない方法が存在する』『2.エアリスが死なない裏技を発見・掲載する』『3.自身のセーブデータでエアリスが死なない状態を得るために 2 を参照する』のような事であれば、それは結構な事なのです。

そして、Wikipedia攻略サイトwikiを例に挙げた事からも分かる通り、その『2』も常に「本当に正確な情報が掲載されているのだろうか」と疑われる状態こそが健全なのです。


しかしmuchonovさんの言説はむしろ、そういった真理・真実の追究とは真逆の、『既存の秩序は既存の秩序だから既存の秩序なのだ』しか言えていない、お粗末なこと極まりないものです。

そもそも、話の起点・論点が『既存の秩序への疑問』であるのにも関わらず、その疑問を否定するのに持ち出して来たのが『既存の秩序』という、いやその論法、やはり控えめに言っても完全に思考が狂ってますよね。大丈夫ですか?マジで。




未成年者や児童の人権を明らかに制約する仕組みが各国の法制度に組み込まれているのは、当然、その国家が議会立法などの民主主義的手続きを経てその法律を定めた結果であり、『社会的コンセンサス』の賜物でしょう。

普通選挙で承認された与党が数でゴリ押す法制定は『社会的コンセンサス』の賜物である、みたいな話ですね。まぁそれでいいんならそれでどうぞ(muchonovさんの中では)。

現実的には、ほとんどの人にとって、ほとんどの法律は「既に存在しているもの」であって(実際には改正だとか新法だとかあるにしても)、更に言えばルールというものは内面化しやすいので、“法制度に組み込まれているのは~『社会的コンセンサス』の賜物”だみたいな発言は、ちょっと臆面がなさすぎて出来ないですね。

「muchonovさんの提示した「判断力が未熟だから」論法では、年齢による“パターナリズム”を肯定するのは無理がある」という指摘は、日本だけでなく、性交同意年齢や制限行為能力などの概念を法制度に組み込んでいる全ての国家や社会に対して「完全に思考が狂ってますよね」「論法に無理がある」と非難していることになりませんか。

当たり前では???????????????

私はrag_enさんがそういうチャレンジングな主張を展開されるのは別に構わないと思っていますし、繰り返しそう申し上げてもいますが、だったらその主張はmuchonovという個人に向けて言うべきことじゃなくて、そうした法制度を運用している国家やそれを是認している国民に対して言うべきことなんじゃないかな、と思います。だから自分は、再三「rag_enさんのお考えを、広く世間に問えばいいと思います」と申し上げているんですけども。

こちらも再三にわたって申し上げているんですけども、それは『私は言説を示威行為としてしか見ていません』という自白でしかありませんし、御自身らが言説を示威行為として用いているのだからといって、他者の言説もその様に捉えるのは、対話に齟齬が生まれまくるので、お止めになったほうが賢明です。さすがにそろそろ鳥頭を疑わざるを得ません。


また“『「判断力」によって峻別すべき』ならば、その「判断力」をテストする”というのは「チャレンジングな主張」でもなんでもなく、これも前記事で述べた通り最も正道な手段です。



結局、muchonovさんの主張は「既存の秩序は既存の秩序だから既存の秩序なのだ!」「それに対して、お前(rag_en)の主張は異端だ!」というものでしかなく、【“『「判断力」によって峻別すべき』ならば、その「判断力」をテストする”というのは最も正道な手段である】という今現在における純然たる真実については、一切反論できていません。


こちらの述べている事に対して反論するならば、『年齢による判定は、テストによる判定よりも正確だ』と主張してそれを示して見せるしかないんですよ。であるにも関わらず、muchonovさんが切ってきた*3「カード」すら

未成年や年齢が低い児童の判断能力が不十分とみなされる理由は、法学の世界では、彼らの判断が、それ以上の年齢層による判断に比べ、①知識や情報を得た上での判断・②適切な理解に基づく判断・③強要なき自律的判断・④実質上も自発的な判断ではない可能性が高く

赤文字化は引用者によるもの

という、少なくとも「判断力」を判定するという一点においては、根拠として非常に弱いものしか提示できていません。*4




しかし、そのような制度---国家が国民の性行為に関わる知識や判断能力をペーパーテストで弁別し、それが当局の定めた水準を満たしているかどうかによって、セックスの権利を与えたり奪ったりする制度---というのは、自分は国家による生-権力的介入・管理のアプローチとしていささか度が過ぎていると思います。

いやいやいやいやいや…「判断力の未熟さ」を理由にした法令による人権制約を肯定してたの、他ならぬmuchonovさんですよね。

権力的介入・管理云々を言うならば、それは『国家が国民の性行為に関わる知識や判断能力を X で弁別し、それが当局の定めた水準を満たしているかどうかによって、セックスの権利を与えたり奪ったりする制度』自体がそうなのであって、ペーパーテストの話ではないでしょう。というか、「X=年齢」なら妥当な管理で、「X=ペーパーテスト」なら度が過ぎた管理だみたいな判定、思うだけなら感想文なんでご自由にですけど、やはり捻じれてますよね。
不正確な基準による管理なら妥当だが、正確な基準による管理は度が過ぎている、とかお考えなのかな…?

自動車免許の社会実装コストについてのrag_enさんの記述を踏まえると、rag_enさんは、その「セックス免許」の仕組みを社会実装するコストも、免許取得費用として「受験者」から徴収して賄えばいい、とお考えのように見えます。

いやまず、自動車免許の話をし始めたのmuchonovさんなのですが、手数料の事を失念して「東京都で55億も予算がかかってるんだぞ!」みたいに仰った事、何か反省とかないんですか?というか、あまり詳しくは無いですけど、資格試験の類って割と手数料だか受験料だかかかってるんじゃないですか。むしろこちらはわざわざ言うまでも無く、手数料を想定してましたけども。

この構想が現行の法制度にある「年齢によるパターナリズム的保護」の仕組みよりもメリットが多くデメリットが少ない現実的な提案だと感じる方は、あんまりいないんじゃないでしょうか。

しらんがな。

今現在の選挙権を持っている層がメリットを感じないのだとしたら、それは「私は既に成人だから関係ないし」「俺はロリコンじゃねぇからどうでもいい」とかそういう事なのでは。それって例えば、「アニメや漫画が規制されても、私はオタクじゃないからどうでもいいや」と同じ事でしょう。muchonovさんの仰る「社会的コンセンサス」による法制定(法規制)って、そういう事なんですか?

社会運動などを通してそのアイディアを人々に受け入れさせて、社会的コンセンサスを変えていくことができれば、その状況も変化する可能性はあると思いますが。

これも界隈がやらかしがちな『「運動」の崇高化』とか『言説を示威行為としてしか見ていない』とか、そういうやつですね。うっへぇ。




まだ続きます。

https://anond.hatelabo.jp/20210805095853

問題は、真っ当な理屈がないにも関わらず、それがさも普遍で不変の常識(≒“社会的コンセンサス”)であるかの様に鎮座する事であって、まさにその問題点そのもの

の中で、「普遍で不変の常識(≒“社会的コンセンサス”)」という風に〈普遍で不変の常識〉と〈社会的コンセンサス〉をニアリーイコールの記号で結ばれているのは、とても奇異なことに感じます。ここで再確認したいのですが、rag_enさんにとって「コンセンサス」というのは「普遍で不変の常識」のことなんでしょうか。でしたら、私達が日常的に使う「コンセンサスを取る」とか「コンセンサスが醸成される」というのはどういう意味だとお考えなんでしょうか。自分は、社会的合意の形成というのは社会環境や集団意識の変化を受けて継続的に進んでゆく動的なプロセスだと思っていますが、rag_enさんにとっては、それは一度確定したら揺らぐことのない、普遍的で変化しない常識なんでしょうか。

いやそこも、明確にダブルクォーテーションで括ってありますよね。普通名詞としてのそれの話なんて一切してない事くらいわかりますよね。muchonovさんの掲げた“社会的コンセンサス”の話であり、それ以外の話はしてません。

読めばわかると思うのですけれども、rag_enが“社会的コンセンサス”なるものを普遍で不変だと考えているのではなく、むしろ、真っ当な理屈もなく普遍でも不変でもないそれを、嘯いて普遍で不変であるかの様に扱っている事を問題視しているものです。

というか、そのすぐ上に、界隈がやりがちなそういった悪癖についての話を載せてありますよね。そしてそれは、今まさにmuchonovさんがやってる事そのものですよね。まさか未だに自覚されていないんですか?







自分が元増田で「中絶が突出して多い」ではなく「中絶に到る妊娠が突出して多い」と書いた理由がおわかりになりますでしょうか。

普通の、という言い方を安易に用いるのはよろしくないとは思うのですけれども、いやさすがに普通の日本語なら 「中絶に到る妊娠が突出して多い」=「中絶が突出して多い」 でしょ…。

「東京に至る道」は確かに東京ではないけれど、「中絶に至る妊娠」は中絶した時点で遡及的にそれが決定するのであって、あえて言うなら中絶手術中に流れてくる『しゅきぴとナマセクロスして中田氏されて精子卵子がコンニチワみたいなモノローグ』の様なもので、それは入れ子の関係なので「数字」として見るぶんには「中絶」と「中絶に至る妊娠」は同じ扱いになりますよね、当然。



以下の様な、muchonovさんが仰りたい意味の事を書くなら「妊娠における中絶率」とか、そんな感じになるんじゃないですか。もうちょっと良い言い方もあるかもしれませんが、それでも“中絶に到る妊娠”よりはマシでしょう。

元増田では、リンク先記事を読めば当然理解できることだと思って逐一引用はしませんでしたが、上記記述の裏付けになるのは、リンク先記事の以下の部分です。

厚生労働省・衛生行政報告例 2014」によれば、2014年の10代の人工妊娠中絶件数は1万7854件。一方、10代の出生数は1万3011人(うち43人は14歳以下の母からの出生)である。つまり、陽の目を見ずに死んでしまう子の方が、陽の目を見る子より約5000人も多い。

https://www.itmedia.co.jp/business/articles/1610/19/news017_2.html

自然流産などを除いて「出生」と「中絶」だけの比率で考えれば、10代の妊娠のうち57.8%が、出生ではなく人工妊娠中絶を選んでいるということです。自分はこの部分を指して「未成年で中絶に到る妊娠が突出して多い」と言っています。

あのですね。muchonovさんがお書きになった元の増田、もう一度見てみましょうか。

そして妊娠。多くの未成年女子が正しい避妊の知識を持っておらず、また力関係的に性行為の場で避妊を求めることができず、その結果として性的交際により妊娠しています。未成年の人工妊娠中絶数は、2014年の厚労省データで約18,000件/年です。https://www.itmedia.co.jp/business/articles/1610/19/news017.html このように未成年で中絶に到る妊娠が突出して多いのは、妊娠リスクに関する未成年の判断力の未熟さの傍証だといえるでしょう。

太字は引用者…じゃないですからねこれ。太字でドーンと「18000件だ!!」とかやっておいて、一方で中絶率の話なんて全くしていないのに、「私(muchonovさん)が言いたかったのは妊娠における中絶率の話だ!」なんて、今更通じるわけないでしょ…。




それでですよ、仮に“10代の妊娠のうち57.8%が、出生ではなく人工妊娠中絶を選んでいるということです。自分はこの部分を指して「未成年で中絶に到る妊娠が突出して多い」と言っています。”を信じるとしてですよ、つまりそれが“妊娠リスクに関する未成年の判断力の未熟さの傍証だといえる”と仰ってる事になりますよね。


いや、意味わかんないでしょ、これ。


妊娠して、出産か中絶かの選択肢が出てきて、出産を選んだら「判断力アリ」、中絶を選んだら「判断力ナシ」と判定される…みたいな話になりますよね?無茶苦茶でしょ。

では、どうすれば10代において「中絶に到る妊娠が突出して多い」かどうかを検討できるでしょうか。衛生行政報告例の「母体保護」の項目でわからない出生数は、人口動態統計を見ると確認できます。以下、最新の人口動態統計の「第4表 母の年齢(5歳階級)・出生順位別にみた出生数」を見ると、2019年には母親が19歳以下の出生数は7782人、母親が20〜29歳の出生数は293725人でした。

https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/kakutei19/dl/08_h4.pdf


これを、rag_enさんも引用されている衛生行政報告例の最新版と突合してみます。2019年には、母親が19歳以下の中絶件数は12678件、母親が20〜29歳の中絶件数は71197件でした。それぞれの年齢コホートの中絶数を、「分母」(出生数+中絶数)で除してざっとの「中絶率」を計算すると、母親が19歳以下の中絶率は62.0%、母親が20〜29歳の中絶率は19.5%と、実に3倍以上が中絶をしています

あのですね、その「中絶数÷(出生数+中絶数)」なんですけど、何をどうやったら「判断力」の判定に使えるんですか?
ちなみに45~49歳だと45%くらいになるっぽいですけど、何ですか、40代半ば過ぎになると脳が衰えて判断力が鈍るみたいな話ですか?





ものすごく単純に、「とある女性集合」を「妊娠したい or したくない」と「妊娠した or してない」で分けると、

妊娠 した してない
したい a 望んだ出産 b 妊活
したくない c 中絶 望まない出産 d 避妊成功 未経験

こうなりますよね?

この場合の「したい/したくない」は気持ちの事というよりは、いわゆるビジョンの事だと考えてください。つまり例えば、「本当は妊娠したいけど、時期が悪いのでしない」の様なケースは「したくない」になります。

また、流産だとか、男性側の意思は?とか、「したい」と思っていたけど妊娠してから「したくない」に変わったとか、そもそも何もビジョンがなかったとか、そういった諸々は抜けていますが、話が進まなくなるのでここでは置いておくとして、大よそはこんな感じになるわけです。

中絶件数が多い、もしくは中絶実施率が高いほど「判断力が未熟である」と判定する発想は、上記の表のうち c を、つまり「妊娠したくないのに妊娠した人」を「判断力が未熟である」としているからこそのものですよね(一応言っておくと、別にこれは a b d が「判断力に優れている」という話をしているのではない)。
であれば、「とある女性集合X」と「とある女性集合Y」の、その「判断力の未熟さ」を比較するとき、X と Y の人数が同程度であるならばそのまま c の値を、人数差があるならば「c÷(a+b+c+d)」を比較すればよいはずです。






女性集合X=100

妊娠 した=15 してない=85
したい=10
5
5
したくない=90
10
80


女性集合Y=125

妊娠 した=75 してない=50
したい=60
50
10
したくない=65
25
40


例えばこの様な場合で「c÷(a+b+c+d)」を計算すると、X で0.1、Y で0.2となり、Y の方が「判断力の未熟さ」が高い事がわかります。

しかし、muchonovさんが提示した「中絶数÷(出生数+中絶数)」に近い計算式である「c÷(a+c)」を用いると、Xで0.666…、Yで0.333…と、まるっきり逆の結果が出てしまいます。もちろんこれは簡単な話で、c の値について相対的にも絶対的にも X より Y の方が大きいのは一目瞭然ですが、それ以上に a の値について X と比べて Y で格段に大きくなっているからです。

集合内において、a と c には相関関係がないので(ちなみに c と a+b+d には負の相関関係がある)、c とは関係なく a の多寡が決定する事もありえます。つまり「c÷(a+c)」では、その集合の「判断力の未熟さ」を算出する事ができません。


要するに、muchonovさんが提示した「中絶数÷(出生数+中絶数)」も同様、「判断力の未熟さ」の判定としては用いる事ができないという事です。

細々(こまごま)と説明してきましたが、もっとシンプルに言ってしまえば、そもそも(未成年とは比較にならないくらい)妊娠願望が増えるであろう20代で「中絶数÷(出生数+中絶数)」なんて計算をすれば、そりゃ未成年のそれよりもずっと小さな値が出るよね、という話で。こんなもの「中絶の多さ=判断力の未熟さ」の判定として、使えるわけありませんよね。
前回述べた“「分母」の差があるだろうという事を考慮すべき”とは、正にこういう事に注意しましょうという指摘だったのですが、理解して頂けなかったようです。



ではもう一度、muchonovさんの主張を見てみます。

最新の人口動態統計の「第4表 母の年齢(5歳階級)・出生順位別にみた出生数」を見ると、2019年には母親が19歳以下の出生数は7782人、母親が20〜29歳の出生数は293725人でした。

https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/kakutei19/dl/08_h4.pdf


これを、rag_enさんも引用されている衛生行政報告例の最新版と突合してみます。2019年には、母親が19歳以下の中絶件数は12678件、母親が20〜29歳の中絶件数は71197件でした。それぞれの年齢コホートの中絶数を、「分母」(出生数+中絶数)で除してざっとの「中絶率」を計算すると、母親が19歳以下の中絶率は62.0%、母親が20〜29歳の中絶率は19.5%と、実に3倍以上が中絶をしています

まず未成年の出生数7782と言っても14歳以下は40と誤差の様なもの、また20代でも20~24歳の出生数が72092、25~29歳の出生数が220933と、3倍以上あるのに同じ20代で括っている時点で胡散臭い数字の扱い方だとは思いますが、まぁこのまま話を先に進めましょう。

“母親が19歳以下の中絶率は62.0%、母親が20〜29歳の中絶率は19.5%と、実に3倍以上が中絶をしています”と仰っていますが、これは 62.0÷19.5=3.179… の事だと思います。面倒なのでここでは3倍という事にします。
これはつまり 

{未成年中絶数÷(未成年出生数+未成年中絶数)}÷{20代中絶数÷(20代出生数+20代中絶数)}=3

出生数+中絶数を妊娠数とすると*5

(未成年中絶数÷未成年妊娠数)÷(20代中絶数÷20代妊娠数)=3
未成年中絶数÷未成年妊娠数=3(20代中絶数÷20代妊娠数)
20代妊娠数÷未成年妊娠数=3(20代中絶数÷未成年中絶数)

という事なるので、結局これが意味するところは『未成年の中絶は、20代の中絶の3倍だ』ではなく、『未成年と20代とを比べたときの妊娠数の増加率が、中絶数の増加率の3倍になる』ですね。やはり『20代になると妊娠する女性がすごい増えている』という事くらいしかわかりませんよね、これ。


少なくともこの件においては、どう見ても無意味な数字です。本当に


f:id:rag_en:20210809070831j:plain




*1:自分はこの言葉、今回の件では使ってないと思うけど。

*2:この場合は「自分の主張を、何らかの権力、威光によって、真理であると断定する立場」「社会現象をそれ自体客観的に把握(はあく)するのではなくて,一定の権力・威光に従って意味づけようとする思考・行動様式」等の意味https://kotobank.jp/word/%E6%A8%A9%E5%A8%81%E4%B8%BB%E7%BE%A9-60254

*3:「手札を切る」みたいな意味ね。

*4:ちなみに、その下にある「10代の人工妊娠中絶についてのアンケート結果」をもとにした補足は意味がありません。まず他の世代のアンケートが提示されていない事(これは前回指摘した“視野狭窄”と同じ話)。次にそもそもそれは、中絶経験者を対象にしたアンケートであり、そうではない残り約99%の未成年女性については参考になりません。2001年の未成年中絶経験者が未成年者女性全体の1.3%だとして、その「困った」と回答した68.1%とは、全体では単純計算で0.884%です。なお、2001年は未成年者の中絶実施率が特に高かった頃です。

*5:もちろん流産とか双子とかもあるのだろうが、ここでは無視する。