Fubarさんの『はてなにいる表現の自由戦士一覧表』を読んでの雑感

fubar.hatenablog.com

これね。


◆ “表現の自由戦士”という呼称について


まず、“表現の自由戦士”という呼称については、恐らく状況的には

もしかしてフェミニストを自称する人たち、表現の自由を「自分の表現を批判されない権利」だと違いしているのでは? - Togetter

表現の自由戦士”って、自分たちの言動に由来してそう分類された「Social Justice Warrior」な人たちの一部が、その腹いせ(?)に無理矢理名付け返してきただけの、空虚な呼称だから。

2019/11/30 03:22

なので。あまり積極的に用いるような言葉ではないですね。


かつての「日本鬼子」を美少女キャラクター化したような、そういう強かさには好感を持てますが、やはりそれなりに真面目に論ずる場合においては、“表現の自由戦士”などという実体(実態)感のないフレーズを用いる事は控えるべきでしょう。これは「ネトウヨ」みたいなワード*1についてもそうですが、例えば大学教員の様な御仁が、そういった言葉を(メタ的にではなく)用いるのは迂闊ですし、特に御自身の専門に近い話題においてのそれならば、更に愚昧であると断じても構わないでしょう。


Fubarさんのその記事はまぁ、「お遊び」のようなものでしょうから、それほど厳しく指摘するつもりもないですけれども、まぁ。


Q.表現の自由戦士って蔑称では?


A.蔑称として成立してないんだよな。表現の自由のために戦うことを揶揄することが筋悪いと思ってるので揶揄する人には何千回でも答えよう 「その通りだ」と。(革命家)

正しい*2主張であっても、その手段が問われる事はあり得るので、ちょっと弱いかな。


そもそも

「表現の自由戦士たちはまさかこの件スルーしないよね?」→表現の自由の問題なのか…? - Togetter

言論の自由とは、畢竟、「政権批判の自由」なのだ』とかいう駄論を支持してる御自身等の鏡像を見ているだけなのでは?とか、そもそもSJWとは違って「運動」自体には価値を置いてないので“戦士”じゃないよねとか。

2018/03/18 20:18

の後半部分でも述べた通り、概して言えば、「Social Justice」界隈の様な『「運動」の崇高化』をやらかしてはいないので“戦士”ではないよね、という話で。呼称としてやはり実体を伴っておらず、正確性に欠けると言わざるを得ません。


◆ 主流派とか独自理論派とかがよくわからない


初見時はQ&Aが無かったのでもっとわからなかった。でも、Q&Aがあってもやっぱりよくわからない。


よしきさん*3こしあんさん*4の名前が挙がっている事から察すると、その正否はともかく「ある程度、(自身の言葉で)論じる事ができる」ようなタイプが独自理論派としてカテゴライズされている様にみえます。


逆に、主流派とされているアカウントについては、ぶっちゃけ個人的にはその半分も個別・個体認識できてない気がする。数えてないけど。




表現の自由」という「正解」を採用できる「賢明」な人たちでも、それについてきちんと論じられる人はそれほど多くはない…これは例えば、科学・偽科学をめぐる話にも近いのかな、と思いました。


つまり、偽科学に嵌まるのは大よそ「愚者」であると言えるし、逆に科学に依るのは大よそ「賢明」であると言えるが、だからと言って科学に依る我々も専門的な知識を持ち合わせているわけではないので、「賢明」ではあっても「賢者」ではない、と。


別の例で言うと、ゲームの攻略情報やデータベースを参考にする行為は「賢明」ではあるけれど*5、そういった情報を「解析」する様な「賢者」ではない、と。


確かに、「正解」を採用できる者であっても「賢明」が大多数であり、「賢者」は少数でしょうが、「賢明」を主流派、「賢者」を独自理論派と呼称するのは、些か抵抗がありますね。


◆ 自分(rag_en)の事について

表現の自由戦士の中でも独自路線を貫く古老。

全ての表現について自由競争させて、受け入れられない表現は市場において敗北して自然消滅する、もしくは公の場から姿を消すから行政の介入は不要、というような主張だと僕は思ってるんだけど、合ってるかな?

うーん?



rag.hatenablog.com

表現の自由」については、こちらにしたためてあります。

献血ポスターの件に際して書いたものですが、献血の け の字もないので汎用性があります。また、ネット上で度々起こる「表現(の自由)」に関する喧々諤々*6も、これさえ踏まえていれば収まるのではないかと思います。


そして、タイトルにもある通り、これは“独自路線”というよりもむしろ、「表現の自由」の話における正道オブ正道です。
半ば、なんとなくで用いられているきらいもある「表現の自由」について、きちんと「言語化」してみせているだけです。



あとは、んー、はてな歴も知らん間に15年超えてるんでアレですし、はてなと言えど世代交代だか新陳代謝だかは起きてるんでしょうが、やっぱ はてなは自分より上の世代の人たちがいっぱいいるところってイメージやなぁ。っつっても、まだ古からのユーザーも結構残ってるよ…ね…?はてなid覚えるの苦手だからよくわからんけど。


◆ あとおまけ

過去のブコメをリンクで貼って再利用するの追いにくいのできらい。

意味わからん。リンクせな、そもそも追えないんだから、リンクしたら追いにくいとか意味がわからん。
この記事でも、いくつか過去のコメントや記事を参照しているけど、本質的にそれと何が違うのかもわからん。


  • 自身の主張の一貫性(というか論理そのものの)チェックが出来て便利。*7
  • 既に攻略法が確立できてるならそれで十分。いわゆる免疫のようなもの。
  • 100文字を超えられる。

といったような理由でよくやる。良いこと尽くし。はてなは検索機能を何とかしれ。ブックマークとはいったい…みたいな事になっとるやろ。



つーか、ちょいちょいその類の難癖つけてくる輩が湧いてくるけど、正直に言えばワンクリック(タップ)、もしくは数クリック(タップ)もできんのなら今すぐネット断ちした方がいいと思ってる*8。いや正確には、ネットはwebだけじゃないやろって話になるかもしれんが、ネトゲだけして一切web閲覧しないとかなら、まぁ頑張れとしか。

それとついでに、

はてなにいる表現の自由戦士一覧表 - Fubarのブログ

“過去のブコメをリンクで貼って再利用するの追いにくいのできらい。” 自ブログの記事の場合もあるが、途切れてたりURLと認識されてなかったりでスマホアプリから飛びづらいんだよ!

2021/09/05 15:44

いい加減、そんなゴミアプリは捨てろとしか思わない。何の瑕疵もない行為に文句つけてくるの、そろそろ鬱陶しい。文句は、はてなに言ってください。






いろいろ言った気もするけど、ワイはFubarさんの事、割と期待しとるで!!

*1:https://b.hatena.ne.jp/entry/291133023/comment/rag_en

*2:正解という意味で。

*3:ちなみにワイ、何故か非表示くろうとる。そんな辛辣にディスった覚えないんやが…。

*4:KoshianXさんの事だよね?

*5:ただこの場合、別に参考にしない事自体が「愚者」なわけではないが。間違いであると確定している情報を真実だと言い張れば「愚者」と言えるか。

*6:誤用。

*7:最近、増田https://b.hatena.ne.jp/entry/4707440809490546466 https://b.hatena.ne.jp/entry/4707782948900056674でもちょっと話題になってたやつ。

*8:もちろん興味がないなら別に構わない。自分だって、この世にあるほとんどのリンクはクリックしない。

続・muchonovさんの提示した「判断力が未熟だから」論法では、年齢による“パターナリズム”を肯定するのは無理があるよという話と、あとリテラシー

FF7に関するネタバレがあります。



https://anond.hatelabo.jp/20210805095803

まず「書け書け」とは申し上げていないので、はっきり言って嘘ですね。


自分が増田で書いた文章「子供の権利は制限されているし、性行為に伴うリスクを判断できない」の位置づけなんですが、これはmuchonovが何か新しい提案をしたぞとか、今からそういう社会を作るぞ、という内容ではありません。このスレッドの親増田の「なぜ、子供が性を売ってはいけないのか」という疑問への応答として、今の社会がそういう風になっている理由として、法律的・社会的にこのような背景がありますよ、と説明するものです。言い換えると、これは〈べき論〉ではなく〈である論〉のつもりで書いたものです。

正直、こんな感じの言い訳はしてくるだろうなと予想してましたが、本当にきました。というのも、このひとつ前のコメントが

されてるなら、流石に自己評価が高すぎでやっぱりわろ。/ブログでもお得意(?)の増田でも好きな所で書けばよいのでは?別に強制はしませんが。少なくとも今はmuchonovさんの主張が間違いだという事実があるだけなので。 - rag_en のブックマーク / はてなブックマーク

rag_enさんが言う「muchonovさんの主張」って、「一定年齢以下の児童は、その判断能力の未熟さを考慮し、パターナリズムに基づいて性的自己決定権を一部制限される」ですか? で、これが「間違い」だと仰っている?

2021/08/04 08:16

だったんですよね。

これ、一見すると「YES」と答えそうになるんですが、罠です。そう答えてしまうと『rag_enは「一定年齢以下の児童は、その判断能力の未熟さを考慮し、パターナリズムに基づいて性的自己決定権を一部制限される」という秩序が現行で存在している事を否定している、嘘吐きだ』となるわけですね。まぁ狡い手だなとは思いましたが、普通にスルー。


さて、上記のmuchonovさんによる“言い訳”ですが、残念ながら成立しません。


muchonovさんの増田https://anond.hatelabo.jp/20200123091017は今現在、少なくとも二つの対象への「応答」になっています。ひとつはもちろん元増田のhttps://anond.hatelabo.jp/20181106132747

もうひとつは

[B! 立憲民主党] 立民・本多氏「12歳と21歳だってないとはいえない」 WT寺田座長が意見書 - 産経ニュース

未成年は限定行為能力者で、特にお金や興味目的に成人を性行為に誘うリスクベネフィットを適切に評価できない可能性が高く(詳しくは https://anond.hatelabo.jp/20200123091017 に書いた)だから諸々の自己決定権が制約されてる。

2021/07/26 19:35

で参照した事による、最近の性的同意年齢や自己決定権*1の話題に対してです。


そしてその二つの対象はどちらも〈べき論〉なのです。つまりそれに対する応答は必然的に〈べき論〉になります。

元増田の記事を少し見てみましょう。

そもそも「なぜ、子供が性を売ってはいけないのか?」っていうのが根本的に疑問。
もちろん主体的・自主的に売る場合で、男女問わずな。


誰か、納得いく答え出せるヤツいる?
「法律で定められているから」って回答は駄目な。
その法律が立法された背景には、それが定められた理由が存在するはずで、俺が知りたいのはその部分だから。

・「子供は性的主体性を持つには未熟であり、誤った判断により一生のトラウマを植え付けられる可能性があるから」
どうだろう?ちょっと子供の判断力をナメすぎではないだろうか。
レイプされたとか、暴力や貧困等で強制された関係であるならともかく、自分から主体的に性を売る場合、そのような傷を負うとは考えにくい。
子供側は軽い遊びや小遣い稼ぎのつもりでも、暴力的な悪い大人に出会ってしまう可能性がある?それこそ、前述したように法整備されていない故の問題で、因果が逆。

端的に言えば、既存の秩序への疑問です。
そして、その疑問への反論としての応答は当然の事ながら、その既存の秩序を肯定する〈べき論〉が必要なわけで、実際にmuchonovさんも中絶件数などを提示してそれを試みているのです(生憎、その試みはmuchonovさん自身の“視野狭窄”により失敗に終わっていますが)。

言うなれば、muchonovさんによる増田https://anond.hatelabo.jp/20200123091017での言説は〈である論〉ではなく〈であるべき論〉です。


そしてここが非常にややこしいのですが、〈であるべき論〉でもって〈である論〉を肯定し、その〈である論〉によって対象の〈べき論〉を否定するという〈べき論〉を行っているのです。わけがわからないですね。


具体的に言うと、『中絶件数等の「数字」による未成年者の判断力の未熟さの提示』でもって『年齢による“パターナリズム”』を肯定し、その『年齢による“パターナリズム”』によって対象の『既存の秩序(=“パターナリズム”)への疑問』を否定するという『既存の秩序(=“パターナリズム”)を維持すべき』論を行っているのです。



もしかしてrag_enさんには、「パターナリズム」という概念について重大な誤認がありませんか。rag_enさんが「“パターナリズム”などという手段を用いる必要は全くありません」という主張とともに、代案として展開されている「判断力によって(ある問題についての当事者能力や責任能力の有無を)峻別する」、そして、判断力がないとみなした対象の自由権を(当人の保護のために)何らかの形で制限する…という考え方は、まさに『パターナリズム』そのものではないですか?

これも、界隈が稀によくやる『定義問題化して誤魔化す』というやつですね。


代表的な例としては、「フェミ(ニズム/ニスト)」というワードにおけるそれでしょうか。

本題ではないのでざっくりと例示しますが、『「女性表象」の使用・消費の自由に制限を加えたい』的な主旨の頓珍漢な主張等をする「フェミ」が批判・問題視されている場合に、「そうではないフェミだっている、主語デカだ」などと言って、フェミ(ニズム/ニスト)という呼称での批判を回避しようとする、問題視されてる事柄よりもその「看板」を守る事に拘泥する、そしてどさくさで問題視されている「そうであるフェミ」へ批判も回避しようとする、といった様なケースがイメージしやすいと思います。



実のところ、こういったやり口も想定済みでしたので、(こちらの記述ミスさえなければ)恐らく前の記事の全ての“パターナリズム”というワードにダブルクォーテーション(引用符) がついているはずです。
つまり、ここで言う“パターナリズム”とは、muchonovさんの掲げた年齢によるそれの事であり、それ以外の事ではありません。


例えば、専門家と素人(医者と患者の例などがよく言われるか)の関係にあるパターナリズムなどについては、是も非も何も述べていません。





そして更に言えば、「自己決定権が行為のリスクと判断能力に応じて一定程度制約される」事自体、肯定も否定も何も述べていません。その事は前の記事で明確に申し上げています。

ここまでで導き出せる結論は『muchonovさんの提示した「判断力が未熟だから」論法では、年齢による“パターナリズム”を肯定するのは無理がある』であって、「自己決定権が行為のリスクと判断能力に応じて一定程度制約される」事自体は肯定も否定も記述されていません。読解力が低すぎます。

もし仮に例えば、muchonovさんが『未成年には精霊の加護がついていて、性行為によって失われてしまう』などと主張されていたとするならば、『ではその精霊を顕現させてみてください』『そもそも加護がなくて何か困るんですか?』等とツッコミを入れていたでしょうし、『成人の粘膜には未成年にとって毒になるものが含まれている、粘膜接触は避けるべきだ』などと主張されていたとすれば、『その毒とやらは科学的な根拠があるのですか?』と伺ったでしょう。

muchonovさんが「判断力が未熟だから」論法で年齢による“パターナリズム”を肯定したから、こちらはその事について指摘した、これはそういう話です。

これを読んだうえで

代案として展開されている「判断力によって(ある問題についての当事者能力や責任能力の有無を)峻別する」、そして、判断力がないとみなした対象の自由権を(当人の保護のために)何らかの形で制限する…という考え方は、まさに『パターナリズム』そのものではないですか?

などと仰ってしまうのは、やはり読解力が低すぎます。





ところで先日、たまたま読んだブログ記事で「思想家カードゲーム」というフレーズを見かけました。

ちょっと、誰が言った言葉なのか正確には覚えていないのですが、ある日本の思想家は「日本の現代思想界隈は、まるでカードゲームのように思想を扱っている」と言っていました。
例えば、ある人が「マルクスを召喚して自分の主張を証明!」と言うと、また別の人が「ハイエクを召喚してその主張を論破!」というように、まるで海外の思想家や理論をカードのように取り扱って、「どのカードを使えば敵のカードに勝てるか」ということを競い合うゲームをずっとやってるみたいだと、そう日本の現代思想を皮肉ったのです。

https://amamako.hateblo.jp/entry/2021/07/21/180748

いわゆる権威主義*2な何かの事だと思いますが、面白い呼称ですね。さて、これを踏まえたうえでmuchonovさんの論法を見ていきます。

現行の日本の法律が、年齢によってその人物の判断能力を推認し、それが十分でないとされた年齢に属する児童を保護するために彼らの自由権を一部制約するのも、別の方法で判断能力を吟味・裁定し(たとえば精神的な障害を持つ人や依存症に苦しむ人や認知症患者などを、家裁の判断によって成年被後見人とすることなど)、彼らを保護するために彼らの自由権を一部制約するのも、どちらも法学の分野でいう「弱いパターナリズム」だと思います。

そして、未成年や年齢が低い児童の判断能力が不十分とみなされる理由は、法学の世界では、彼らの判断が、それ以上の年齢層による判断に比べ、①知識や情報を得た上での判断・②適切な理解に基づく判断・③強要なき自律的判断・④実質上も自発的な判断ではない可能性が高く、それによって、当事者自身が想定しない結果や不利益をもたらすリスクが懸念されているからです。

そして、未成年者や特定年齢に満たない児童に対する「弱いパターナリズム」に基づく人権制約は、日本を含め、大半の近代国家の法制度に含まれています

赤文字化は引用者によるもの


権威の対象が思想家ではないですが(いや、それよりも更に権威的か)、めちゃくちゃ「カードゲーム」してますよね、っていうか「カードゲーム」しかしてませんよね、これ。


誤解の無いように言っておきますが、別に何かを参照する事自体を否定しているわけではありません。声優の出演情報を知りたければWikipediaでも参照すればよいし、ゲームの攻略情報を知りたければ攻略サイトwikiの類を参照すればよい。順当な事だと思います。

『1.真理・真実が存在する』『2.その真理・真実を追究する』『3.真理・真実の追究のために先達の 2 を参照する』のであれば、つまり具体的に言えば『1.エアリスが死なない方法が存在する』『2.エアリスが死なない裏技を発見・掲載する』『3.自身のセーブデータでエアリスが死なない状態を得るために 2 を参照する』のような事であれば、それは結構な事なのです。

そして、Wikipedia攻略サイトwikiを例に挙げた事からも分かる通り、その『2』も常に「本当に正確な情報が掲載されているのだろうか」と疑われる状態こそが健全なのです。


しかしmuchonovさんの言説はむしろ、そういった真理・真実の追究とは真逆の、『既存の秩序は既存の秩序だから既存の秩序なのだ』しか言えていない、お粗末なこと極まりないものです。

そもそも、話の起点・論点が『既存の秩序への疑問』であるのにも関わらず、その疑問を否定するのに持ち出して来たのが『既存の秩序』という、いやその論法、やはり控えめに言っても完全に思考が狂ってますよね。大丈夫ですか?マジで。




未成年者や児童の人権を明らかに制約する仕組みが各国の法制度に組み込まれているのは、当然、その国家が議会立法などの民主主義的手続きを経てその法律を定めた結果であり、『社会的コンセンサス』の賜物でしょう。

普通選挙で承認された与党が数でゴリ押す法制定は『社会的コンセンサス』の賜物である、みたいな話ですね。まぁそれでいいんならそれでどうぞ(muchonovさんの中では)。

現実的には、ほとんどの人にとって、ほとんどの法律は「既に存在しているもの」であって(実際には改正だとか新法だとかあるにしても)、更に言えばルールというものは内面化しやすいので、“法制度に組み込まれているのは~『社会的コンセンサス』の賜物”だみたいな発言は、ちょっと臆面がなさすぎて出来ないですね。

「muchonovさんの提示した「判断力が未熟だから」論法では、年齢による“パターナリズム”を肯定するのは無理がある」という指摘は、日本だけでなく、性交同意年齢や制限行為能力などの概念を法制度に組み込んでいる全ての国家や社会に対して「完全に思考が狂ってますよね」「論法に無理がある」と非難していることになりませんか。

当たり前では???????????????

私はrag_enさんがそういうチャレンジングな主張を展開されるのは別に構わないと思っていますし、繰り返しそう申し上げてもいますが、だったらその主張はmuchonovという個人に向けて言うべきことじゃなくて、そうした法制度を運用している国家やそれを是認している国民に対して言うべきことなんじゃないかな、と思います。だから自分は、再三「rag_enさんのお考えを、広く世間に問えばいいと思います」と申し上げているんですけども。

こちらも再三にわたって申し上げているんですけども、それは『私は言説を示威行為としてしか見ていません』という自白でしかありませんし、御自身らが言説を示威行為として用いているのだからといって、他者の言説もその様に捉えるのは、対話に齟齬が生まれまくるので、お止めになったほうが賢明です。さすがにそろそろ鳥頭を疑わざるを得ません。


また“『「判断力」によって峻別すべき』ならば、その「判断力」をテストする”というのは「チャレンジングな主張」でもなんでもなく、これも前記事で述べた通り最も正道な手段です。



結局、muchonovさんの主張は「既存の秩序は既存の秩序だから既存の秩序なのだ!」「それに対して、お前(rag_en)の主張は異端だ!」というものでしかなく、【“『「判断力」によって峻別すべき』ならば、その「判断力」をテストする”というのは最も正道な手段である】という今現在における純然たる真実については、一切反論できていません。


こちらの述べている事に対して反論するならば、『年齢による判定は、テストによる判定よりも正確だ』と主張してそれを示して見せるしかないんですよ。であるにも関わらず、muchonovさんが切ってきた*3「カード」すら

未成年や年齢が低い児童の判断能力が不十分とみなされる理由は、法学の世界では、彼らの判断が、それ以上の年齢層による判断に比べ、①知識や情報を得た上での判断・②適切な理解に基づく判断・③強要なき自律的判断・④実質上も自発的な判断ではない可能性が高く

赤文字化は引用者によるもの

という、少なくとも「判断力」を判定するという一点においては、根拠として非常に弱いものしか提示できていません。*4




しかし、そのような制度---国家が国民の性行為に関わる知識や判断能力をペーパーテストで弁別し、それが当局の定めた水準を満たしているかどうかによって、セックスの権利を与えたり奪ったりする制度---というのは、自分は国家による生-権力的介入・管理のアプローチとしていささか度が過ぎていると思います。

いやいやいやいやいや…「判断力の未熟さ」を理由にした法令による人権制約を肯定してたの、他ならぬmuchonovさんですよね。

権力的介入・管理云々を言うならば、それは『国家が国民の性行為に関わる知識や判断能力を X で弁別し、それが当局の定めた水準を満たしているかどうかによって、セックスの権利を与えたり奪ったりする制度』自体がそうなのであって、ペーパーテストの話ではないでしょう。というか、「X=年齢」なら妥当な管理で、「X=ペーパーテスト」なら度が過ぎた管理だみたいな判定、思うだけなら感想文なんでご自由にですけど、やはり捻じれてますよね。
不正確な基準による管理なら妥当だが、正確な基準による管理は度が過ぎている、とかお考えなのかな…?

自動車免許の社会実装コストについてのrag_enさんの記述を踏まえると、rag_enさんは、その「セックス免許」の仕組みを社会実装するコストも、免許取得費用として「受験者」から徴収して賄えばいい、とお考えのように見えます。

いやまず、自動車免許の話をし始めたのmuchonovさんなのですが、手数料の事を失念して「東京都で55億も予算がかかってるんだぞ!」みたいに仰った事、何か反省とかないんですか?というか、あまり詳しくは無いですけど、資格試験の類って割と手数料だか受験料だかかかってるんじゃないですか。むしろこちらはわざわざ言うまでも無く、手数料を想定してましたけども。

この構想が現行の法制度にある「年齢によるパターナリズム的保護」の仕組みよりもメリットが多くデメリットが少ない現実的な提案だと感じる方は、あんまりいないんじゃないでしょうか。

しらんがな。

今現在の選挙権を持っている層がメリットを感じないのだとしたら、それは「私は既に成人だから関係ないし」「俺はロリコンじゃねぇからどうでもいい」とかそういう事なのでは。それって例えば、「アニメや漫画が規制されても、私はオタクじゃないからどうでもいいや」と同じ事でしょう。muchonovさんの仰る「社会的コンセンサス」による法制定(法規制)って、そういう事なんですか?

社会運動などを通してそのアイディアを人々に受け入れさせて、社会的コンセンサスを変えていくことができれば、その状況も変化する可能性はあると思いますが。

これも界隈がやらかしがちな『「運動」の崇高化』とか『言説を示威行為としてしか見ていない』とか、そういうやつですね。うっへぇ。




まだ続きます。

https://anond.hatelabo.jp/20210805095853

問題は、真っ当な理屈がないにも関わらず、それがさも普遍で不変の常識(≒“社会的コンセンサス”)であるかの様に鎮座する事であって、まさにその問題点そのもの

の中で、「普遍で不変の常識(≒“社会的コンセンサス”)」という風に〈普遍で不変の常識〉と〈社会的コンセンサス〉をニアリーイコールの記号で結ばれているのは、とても奇異なことに感じます。ここで再確認したいのですが、rag_enさんにとって「コンセンサス」というのは「普遍で不変の常識」のことなんでしょうか。でしたら、私達が日常的に使う「コンセンサスを取る」とか「コンセンサスが醸成される」というのはどういう意味だとお考えなんでしょうか。自分は、社会的合意の形成というのは社会環境や集団意識の変化を受けて継続的に進んでゆく動的なプロセスだと思っていますが、rag_enさんにとっては、それは一度確定したら揺らぐことのない、普遍的で変化しない常識なんでしょうか。

いやそこも、明確にダブルクォーテーションで括ってありますよね。普通名詞としてのそれの話なんて一切してない事くらいわかりますよね。muchonovさんの掲げた“社会的コンセンサス”の話であり、それ以外の話はしてません。

読めばわかると思うのですけれども、rag_enが“社会的コンセンサス”なるものを普遍で不変だと考えているのではなく、むしろ、真っ当な理屈もなく普遍でも不変でもないそれを、嘯いて普遍で不変であるかの様に扱っている事を問題視しているものです。

というか、そのすぐ上に、界隈がやりがちなそういった悪癖についての話を載せてありますよね。そしてそれは、今まさにmuchonovさんがやってる事そのものですよね。まさか未だに自覚されていないんですか?







自分が元増田で「中絶が突出して多い」ではなく「中絶に到る妊娠が突出して多い」と書いた理由がおわかりになりますでしょうか。

普通の、という言い方を安易に用いるのはよろしくないとは思うのですけれども、いやさすがに普通の日本語なら 「中絶に到る妊娠が突出して多い」=「中絶が突出して多い」 でしょ…。

「東京に至る道」は確かに東京ではないけれど、「中絶に至る妊娠」は中絶した時点で遡及的にそれが決定するのであって、あえて言うなら中絶手術中に流れてくる『しゅきぴとナマセクロスして中田氏されて精子卵子がコンニチワみたいなモノローグ』の様なもので、それは入れ子の関係なので「数字」として見るぶんには「中絶」と「中絶に至る妊娠」は同じ扱いになりますよね、当然。



以下の様な、muchonovさんが仰りたい意味の事を書くなら「妊娠における中絶率」とか、そんな感じになるんじゃないですか。もうちょっと良い言い方もあるかもしれませんが、それでも“中絶に到る妊娠”よりはマシでしょう。

元増田では、リンク先記事を読めば当然理解できることだと思って逐一引用はしませんでしたが、上記記述の裏付けになるのは、リンク先記事の以下の部分です。

厚生労働省・衛生行政報告例 2014」によれば、2014年の10代の人工妊娠中絶件数は1万7854件。一方、10代の出生数は1万3011人(うち43人は14歳以下の母からの出生)である。つまり、陽の目を見ずに死んでしまう子の方が、陽の目を見る子より約5000人も多い。

https://www.itmedia.co.jp/business/articles/1610/19/news017_2.html

自然流産などを除いて「出生」と「中絶」だけの比率で考えれば、10代の妊娠のうち57.8%が、出生ではなく人工妊娠中絶を選んでいるということです。自分はこの部分を指して「未成年で中絶に到る妊娠が突出して多い」と言っています。

あのですね。muchonovさんがお書きになった元の増田、もう一度見てみましょうか。

そして妊娠。多くの未成年女子が正しい避妊の知識を持っておらず、また力関係的に性行為の場で避妊を求めることができず、その結果として性的交際により妊娠しています。未成年の人工妊娠中絶数は、2014年の厚労省データで約18,000件/年です。https://www.itmedia.co.jp/business/articles/1610/19/news017.html このように未成年で中絶に到る妊娠が突出して多いのは、妊娠リスクに関する未成年の判断力の未熟さの傍証だといえるでしょう。

太字は引用者…じゃないですからねこれ。太字でドーンと「18000件だ!!」とかやっておいて、一方で中絶率の話なんて全くしていないのに、「私(muchonovさん)が言いたかったのは妊娠における中絶率の話だ!」なんて、今更通じるわけないでしょ…。




それでですよ、仮に“10代の妊娠のうち57.8%が、出生ではなく人工妊娠中絶を選んでいるということです。自分はこの部分を指して「未成年で中絶に到る妊娠が突出して多い」と言っています。”を信じるとしてですよ、つまりそれが“妊娠リスクに関する未成年の判断力の未熟さの傍証だといえる”と仰ってる事になりますよね。


いや、意味わかんないでしょ、これ。


妊娠して、出産か中絶かの選択肢が出てきて、出産を選んだら「判断力アリ」、中絶を選んだら「判断力ナシ」と判定される…みたいな話になりますよね?無茶苦茶でしょ。

では、どうすれば10代において「中絶に到る妊娠が突出して多い」かどうかを検討できるでしょうか。衛生行政報告例の「母体保護」の項目でわからない出生数は、人口動態統計を見ると確認できます。以下、最新の人口動態統計の「第4表 母の年齢(5歳階級)・出生順位別にみた出生数」を見ると、2019年には母親が19歳以下の出生数は7782人、母親が20〜29歳の出生数は293725人でした。

https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/kakutei19/dl/08_h4.pdf


これを、rag_enさんも引用されている衛生行政報告例の最新版と突合してみます。2019年には、母親が19歳以下の中絶件数は12678件、母親が20〜29歳の中絶件数は71197件でした。それぞれの年齢コホートの中絶数を、「分母」(出生数+中絶数)で除してざっとの「中絶率」を計算すると、母親が19歳以下の中絶率は62.0%、母親が20〜29歳の中絶率は19.5%と、実に3倍以上が中絶をしています

あのですね、その「中絶数÷(出生数+中絶数)」なんですけど、何をどうやったら「判断力」の判定に使えるんですか?
ちなみに45~49歳だと45%くらいになるっぽいですけど、何ですか、40代半ば過ぎになると脳が衰えて判断力が鈍るみたいな話ですか?





ものすごく単純に、「とある女性集合」を「妊娠したい or したくない」と「妊娠した or してない」で分けると、

妊娠 した してない
したい a 望んだ出産 b 妊活
したくない c 中絶 望まない出産 d 避妊成功 未経験

こうなりますよね?

この場合の「したい/したくない」は気持ちの事というよりは、いわゆるビジョンの事だと考えてください。つまり例えば、「本当は妊娠したいけど、時期が悪いのでしない」の様なケースは「したくない」になります。

また、流産だとか、男性側の意思は?とか、「したい」と思っていたけど妊娠してから「したくない」に変わったとか、そもそも何もビジョンがなかったとか、そういった諸々は抜けていますが、話が進まなくなるのでここでは置いておくとして、大よそはこんな感じになるわけです。

中絶件数が多い、もしくは中絶実施率が高いほど「判断力が未熟である」と判定する発想は、上記の表のうち c を、つまり「妊娠したくないのに妊娠した人」を「判断力が未熟である」としているからこそのものですよね(一応言っておくと、別にこれは a b d が「判断力に優れている」という話をしているのではない)。
であれば、「とある女性集合X」と「とある女性集合Y」の、その「判断力の未熟さ」を比較するとき、X と Y の人数が同程度であるならばそのまま c の値を、人数差があるならば「c÷(a+b+c+d)」を比較すればよいはずです。






女性集合X=100

妊娠 した=15 してない=85
したい=10
5
5
したくない=90
10
80


女性集合Y=125

妊娠 した=75 してない=50
したい=60
50
10
したくない=65
25
40


例えばこの様な場合で「c÷(a+b+c+d)」を計算すると、X で0.1、Y で0.2となり、Y の方が「判断力の未熟さ」が高い事がわかります。

しかし、muchonovさんが提示した「中絶数÷(出生数+中絶数)」に近い計算式である「c÷(a+c)」を用いると、Xで0.666…、Yで0.333…と、まるっきり逆の結果が出てしまいます。もちろんこれは簡単な話で、c の値について相対的にも絶対的にも X より Y の方が大きいのは一目瞭然ですが、それ以上に a の値について X と比べて Y で格段に大きくなっているからです。

集合内において、a と c には相関関係がないので(ちなみに c と a+b+d には負の相関関係がある)、c とは関係なく a の多寡が決定する事もありえます。つまり「c÷(a+c)」では、その集合の「判断力の未熟さ」を算出する事ができません。


要するに、muchonovさんが提示した「中絶数÷(出生数+中絶数)」も同様、「判断力の未熟さ」の判定としては用いる事ができないという事です。

細々(こまごま)と説明してきましたが、もっとシンプルに言ってしまえば、そもそも(未成年とは比較にならないくらい)妊娠願望が増えるであろう20代で「中絶数÷(出生数+中絶数)」なんて計算をすれば、そりゃ未成年のそれよりもずっと小さな値が出るよね、という話で。こんなもの「中絶の多さ=判断力の未熟さ」の判定として、使えるわけありませんよね。
前回述べた“「分母」の差があるだろうという事を考慮すべき”とは、正にこういう事に注意しましょうという指摘だったのですが、理解して頂けなかったようです。



ではもう一度、muchonovさんの主張を見てみます。

最新の人口動態統計の「第4表 母の年齢(5歳階級)・出生順位別にみた出生数」を見ると、2019年には母親が19歳以下の出生数は7782人、母親が20〜29歳の出生数は293725人でした。

https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/kakutei19/dl/08_h4.pdf


これを、rag_enさんも引用されている衛生行政報告例の最新版と突合してみます。2019年には、母親が19歳以下の中絶件数は12678件、母親が20〜29歳の中絶件数は71197件でした。それぞれの年齢コホートの中絶数を、「分母」(出生数+中絶数)で除してざっとの「中絶率」を計算すると、母親が19歳以下の中絶率は62.0%、母親が20〜29歳の中絶率は19.5%と、実に3倍以上が中絶をしています

まず未成年の出生数7782と言っても14歳以下は40と誤差の様なもの、また20代でも20~24歳の出生数が72092、25~29歳の出生数が220933と、3倍以上あるのに同じ20代で括っている時点で胡散臭い数字の扱い方だとは思いますが、まぁこのまま話を先に進めましょう。

“母親が19歳以下の中絶率は62.0%、母親が20〜29歳の中絶率は19.5%と、実に3倍以上が中絶をしています”と仰っていますが、これは 62.0÷19.5=3.179… の事だと思います。面倒なのでここでは3倍という事にします。
これはつまり 

{未成年中絶数÷(未成年出生数+未成年中絶数)}÷{20代中絶数÷(20代出生数+20代中絶数)}=3

出生数+中絶数を妊娠数とすると*5

(未成年中絶数÷未成年妊娠数)÷(20代中絶数÷20代妊娠数)=3
未成年中絶数÷未成年妊娠数=3(20代中絶数÷20代妊娠数)
20代妊娠数÷未成年妊娠数=3(20代中絶数÷未成年中絶数)

という事なるので、結局これが意味するところは『未成年の中絶は、20代の中絶の3倍だ』ではなく、『未成年と20代とを比べたときの妊娠数の増加率が、中絶数の増加率の3倍になる』ですね。やはり『20代になると妊娠する女性がすごい増えている』という事くらいしかわかりませんよね、これ。


少なくともこの件においては、どう見ても無意味な数字です。本当に


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*1:自分はこの言葉、今回の件では使ってないと思うけど。

*2:この場合は「自分の主張を、何らかの権力、威光によって、真理であると断定する立場」「社会現象をそれ自体客観的に把握(はあく)するのではなくて,一定の権力・威光に従って意味づけようとする思考・行動様式」等の意味https://kotobank.jp/word/%E6%A8%A9%E5%A8%81%E4%B8%BB%E7%BE%A9-60254

*3:「手札を切る」みたいな意味ね。

*4:ちなみに、その下にある「10代の人工妊娠中絶についてのアンケート結果」をもとにした補足は意味がありません。まず他の世代のアンケートが提示されていない事(これは前回指摘した“視野狭窄”と同じ話)。次にそもそもそれは、中絶経験者を対象にしたアンケートであり、そうではない残り約99%の未成年女性については参考になりません。2001年の未成年中絶経験者が未成年者女性全体の1.3%だとして、その「困った」と回答した68.1%とは、全体では単純計算で0.884%です。なお、2001年は未成年者の中絶実施率が特に高かった頃です。

*5:もちろん流産とか双子とかもあるのだろうが、ここでは無視する。

はてブコメント一覧非表示機能

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「サイト全体のコメント一覧を非表示に設定する」をしてると、個別での表示⇔非表示の設定が弄れなくなってる…。前はできたはずなんだが。どゆこと?


非表示デフォルトで、その都度その都度で表示のON/OFFを設定する…みたいな運用ができなくなったって事?いや、以前出来てた事をできなくする意味がわからんのだが…。

muchonovさんの提示した「判断力が未熟だから」論法では、年齢による“パターナリズム”を肯定するのは無理があるよという話と、あとリテラシー

muchonovさんのブコメ

[B! 立憲民主党] 立民・本多氏「12歳と21歳だってないとはいえない」 WT寺田座長が意見書 - 産経ニュース

未成年は限定行為能力者で、特にお金や興味目的に成人を性行為に誘うリスクベネフィットを適切に評価できない可能性が高く(詳しくは https://anond.hatelabo.jp/20200123091017 に書いた)だから諸々の自己決定権が制約されてる。

2021/07/26 19:35

が気になった話です。


リンク先の記事https://anond.hatelabo.jp/20200123091017を見ていきます。

未成年に対しては愚行権を含む自由権に一定の制約を課すべきだという社会的コンセンサスがあるからです。未成年に対しては人権を制約するレベルのパターナリズム(保護者的統制主義、当事者の能力やリソースの不足を社会が保護者として補い、庇護する)をとってもよいし、分野・状況によっては積極的にそうしなければいけない

いやもうこれ、『社会的コンセンサスがあるから』なんていう、ふにゃふにゃな理由での“パターナリズム”を肯定してしまっているの、控えめに言っても完全に思考が狂ってますよね。


このへんの彼らの界隈の悪癖について、全くの別件ですけど上手く指摘していたものが増田https://anond.hatelabo.jp/20210729143953にあったので引っ張っておきます。

べんべつ
【弁別】
《名・ス他》見分けること。区別すること。識別。
転じて、常識で見分けられる是非・善悪・道理のわきまえ。

まさにこれがこのアホどもの会話が成り立ちにくい理由の根本なわけよ。


「自分の言ってることは道理であり、常識であり、ことは善悪の問題であり、だから論理的なチェックを受けたり反論をされたりするのは不当でありプンプンプン!」
ってお気持ちなんだよね。


なんでバキのレイプがダメでBLのレイプがセーフなのか、フェミニストさんの言ってることなんかおかしくないか、
そこを問うたり理屈のチェックしたりすること自体常識がない、わきまえがない、普通に考えればわかるでしょ。
と。


このバカ保守ジジババみたいな台詞がサヨクidから飛び出てくるのが現代なわけ。
「常識で見分けられる是非・善悪・道理のわきまえ」だぜ?すごすぎでしょ。

やばいですね☆



パターナリズム”(父権主義・家父長制)にせよ、「お母さん保守」にせよ、各々がそういった思想を持つこと自体は、まぁ愚昧ではあるとしても、勝手です。問題は、真っ当な理屈がないにも関わらず、それがさも普遍で不変の常識(≒“社会的コンセンサス”)であるかの様に鎮座する事であって、まさにその問題点そのものを“パターナリズム”の正しさの理由として掲げているあたり、おもいっきり思考が捻転していると言わざるを得ません。




そもそも『「判断力」によって峻別すべき』だと仰るならば、「ペーパーテストして免許制にでもすれば?」でほぼほぼ終了する話なわけです。*1
『「判断力」によって峻別すべき』ならば、その「判断力」をテストする、というのはどう見ても最も正道な手段なのですから。“パターナリズム”などという手段を用いる必要は全くありません。






いやそれだけじゃない、ちゃんと「数字」を出して未成年の判断力の無さを提示しているぞ、とmuchonovさんは仰るかもしれません。

ではその箇所を見ていきましょう。

そもそも性行為というのは適切な知識と配慮をもって行わなければ様々な身体的リスクがある行為です。たとえば性感染症。未成年のクラミジア感染率は、少し古いデータですが、15~18 歳健康高校生 6,000 人での陽性率が男5%・女子13%。そして19歳までの未婚妊婦の27.3%が感染しています。http://www.jspid.jp/journal/full/02301/023010063.pdf

そして妊娠。多くの未成年女子が正しい避妊の知識を持っておらず、また力関係的に性行為の場で避妊を求めることができず、その結果として性的交際により妊娠しています。未成年の人工妊娠中絶数は、2014年の厚労省データで約18,000件/年です。https://www.itmedia.co.jp/business/articles/1610/19/news017.html このように未成年で中絶に到る妊娠が突出して多いのは、妊娠リスクに関する未成年の判断力の未熟さの傍証だといえるでしょう。

だから私たちの社会は、子供に性行為を---特に金銭的対価の伴う性行為を---禁じているのです。

なるほど。


しかしまず、クラミジア感染にせよ中絶にせよ、その多くが『成人×未成年*2』による事例なのですか?という話ですし、「いや、そういう事が言いたいんじゃない!あくまで未成年者の判断力の無さの話だ!」などと仰るのかもしれませんが、例えば中絶に関して言えば以下の通りで

f:id:rag_en:20210802171929j:plain

https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/eisei_houkoku/17/dl/gaikyo.pdf

成人の方が圧倒的に多いですよね、と。『中絶=判断力の無さ』という基準を採用するなら、成人の方が判断力が無いという結論になりますよね、と。更に言うと、約1万ウン千件の中絶未成年と言っても、そのうち18・19歳が2014年で6割強、2017年で7割弱、15歳未満なんて約1.5%なわけです。

件数で言えば、未成年のそれはおおよそ40~44歳と同程度です。実施率では未成年の方が多くなりますが、19歳を抜けば(つまり18歳以下)40~44歳とやはり同程度です(2017年)。“未成年で中絶に到る妊娠が突出して多い”とはいったい…?




クラミジア感染も https://www.niid.go.jp/niid/ja/kansennohanashi/423-chlamydia-std-intro.html 「ヤってそうな層が高い」という身も蓋もない話で、あまり意味のある話にはなりそうにないですよね。
また、未成年妊婦の感染率の高さについては、恐らく成人と未成年とでは妊婦の絶対数に差がある、つまり「分母」の差があるだろうという事を考慮すべきです。実際、こちらの調査http://www.jaog.or.jp/wp/wp-content/uploads/2017/01/chlamydia.pdfでは明らかに未成年妊婦の「分母」が20~30代と比べてかなり小さい事が分かります。



結局、muchonovさんの挙げた「数字」は、(成人と比べて)未成年の「判断力」の無さを示すものにはなり得ず、むしろ成人と未成年がシームレスである事をこそ示すものになっています。






https://b.hatena.ne.jp/entry/4706008212275483490/comment/rag_en 続き。「判断力がー」は、「ペーパーテストして免許制にでもすれば?」でほぼ終了なんよね( https://b.hatena.ne.jp/entry/295482259/comment/rag_en に注意する必要はあるが)。(続メタ - rag_en のブックマーク / はてなブックマーク

あ、「自己決定権が行為のリスクと判断能力に応じて一定程度制約される」こと自体は容認されるんですね。であれば、仰る構想もアリでしょう。年齢での推認に比べて社会実装コストが高すぎて現実的ではないと思うけど

2021/07/27 09:18

ここまでで導き出せる結論は『muchonovさんの提示した「判断力が未熟だから*3」論法では、年齢による“パターナリズム”を肯定するのは無理がある』であって、「自己決定権が行為のリスクと判断能力に応じて一定程度制約される」事自体は肯定も否定も記述されていません。読解力が低すぎます。


もし仮に例えば、muchonovさんが『未成年には精霊の加護がついていて、性行為によって失われてしまう』などと主張されていたとするならば、『ではその精霊を顕現させてみてください』『そもそも加護がなくて何か困るんですか?』等とツッコミを入れていたでしょうし、『成人の粘膜には未成年にとって毒になるものが含まれている、粘膜接触は避けるべきだ』などと主張されていたとすれば、『その毒とやらは科学的な根拠があるのですか?』と伺ったでしょう。

muchonovさんが「判断力が未熟だから」論法で年齢による“パターナリズム”を肯定したから、こちらはその事について指摘した、これはそういう話です。


やはりmuchonovさんは御自身の読解力を何とかされた方が賢明だと思います。/「コストが高い」が、どの程度の意味なのか不明ですが、ペーパーテストして免許証の類を出すだけなんで、そんなに難しい話ではないでしょう。 - rag_en のブックマーク / はてなブックマーク

つまり、性行為を認めるかどうかは年齢で仕切るよりセックスの免許制度化の方がパターナリズムを回避できて好ましいってご主張ですか。rag_enさんらしい伸び伸びとした発想ですね。契約行為や公営賭博も同じですか?

2021/07/28 23:28

好ましいだのなんだのという話はしていませんし、“『「判断力」によって峻別すべき』ならば、その「判断力」をテストする”というのは「rag_enらしい伸び伸びとした発想」*4でもなんでもなく、前述の通り最も正道な手段です。
というか、その発想すらない時点で「判断力が未熟だから」などというのはただのお為ごかしでしかなく、むしろ旧態依然とした“パターナリズム”の維持こそがmuchonovさんの目的なのではないですか?と疑うレベルです。


また、そこで“契約行為や公営賭博も同じですか?”などという質問をされてしまうのも、話を理解できていないと白状している様なもので、これももし仮にmuchonovさんが『「判断力」を基準に、契約行為や公営賭博への「参加資格」を決定するべきだ』と主張されるのであれば、やはりその場合も同様の結論になりますよ、という話でしかありません。



つまり、性行為を認めるかどうかは年齢で仕切るよりセックスの免許制度化の方がパターナリズムを回避できて好ましいってご主張ですか。rag_enさんらしい伸び伸びとした発想ですね。契約行為や公営賭博も同じですか? - muchonov のブックマーク / はてなブックマーク

社会実装コストは、もうそのままの意味ですよ。例えば都の運転免許事業の運営費は55億/年です/年齢による処罰を撤廃して新たにコストをかけてセックス免許制を敷く提案、面白いので、ぜひ広く世間に問うてください

2021/07/28 23:31

muchonovさんは、以前もその「世間に問えばいい」みたいな捨て台詞(?)を吐いてらっしゃいましたけど、つまるところそれは『私は言説を示威行為としてしか見ていません』という自白でしかありません。
そしてこれも以前に指摘したと思いますが、御自身らが言説を示威行為として用いているのだからといって、他者の言説もその様に捉えるのは、対話に齟齬が生まれまくるので、お止めになったほうが賢明です。


それにしてもこの“ぜひ広く世間に問うてください”という物言い、いかにも「社会的コンセンサス」なるもので「正しさ」を決定しようとする事を肯定するmuchonovさんらしいなという感じですが、そもそも“広く世間に問う”の意味がどうも真逆というか、それは例えばありとあらゆるモノが並ぶ大型店舗のような「自由市場」的なイメージであって、むしろ単一の「正しさ」を決定するようなものとは正反対なんですよね。
この辺り、やはり根っこの部分から社会主義志向なんだな、と*5。『学級会ノリで皆の意思を統一しよう』的な。計画経済ならぬ計画思想とでも言えばいいのか。



なお、https://www.npa.go.jp/publications/statistics/koutsuu/menkyo/r02/r02_main.pdfによると、東京都の免許取得者数が20万弱、更新者数が200万強、もしこの約220万人がそれぞれ3000円の手数料を支払ったとすると、めちゃくちゃ大雑把な単純計算ですが66億になりますね(ちなみに全国だと大体その10倍くらいです)。

中絶件数の話でもそうでしたけど、18000件だとか55億だとかの数字を見て舞い上がってしまったのかは存じ上げませんが、そこで一呼吸おいて「成人の件数はどうだろう」「そういやワイらが払っとる手数料はどうなっとるんや」といった様な考えに及ばないのは、さすがに“視野狭窄”が過ぎます。
もちろん、「無限の視野を持て」という話ではありませんし、それは自分も無理ですけれども、いくらなんでもこれは…というお粗末さでしょう。




謎の七面鳥(C95申込中)さんのツイート: "オタクがどんなにキズナアイやセーラームーンが女性や女児に支持されてるアピールしても効かないのは、最早フェミや社会学者というのは敵陣に深く切り込むための仮面でしかなく、本望はキモオタの殲滅だと考えると腑に落ちる。ていうかそれ以外考えられない。"

この視野狭窄がエコーチェンバーの怖さである

2018/10/26 13:52

f:id:rag_en:20210802200839j:plain





*1:もちろん、客観的な事実に基づく事柄でテストすべきであって、いわゆる「性道徳」のようなものが混ざらないように注意する必要はあるが。

*2:順不同

*3:能力的未熟さ云々。

*4:こういう、事実の部分では言い争えないから、言い方によってさも相手の方が異端であるかの様に扱う、こういうのを「ミーム戦」って言うんでしたっけ?知らんけど。

*5:イメージ画像https://cruel.hatenablog.com/entry/2019/03/01/163851

「表現の自由」について共通認識にしておいてほしい事。

「長文読むの面倒くせぇよ!」って人は、次の6つだけでも覚えて帰ってくれると嬉しいです。そんな難しい話ではないです。難しい話なんてできませんしね。「今更こんなん言われんでもわかっとるわ!当たり前やろ!」って人はごめんなさい。

  1. 表現の自由」で最も重要なのは『価値観の自由競争(市場)』。『公権力からの自由』はあくまでその手段の一つ(もちろん重要だが)。『表現の自由度』はその結果。

  2. 「表現」が「自由市場」への参加を否定されていないという前提において、その「表現」の「シェア」の伸ばしやすさは問題にならない。また、既存の「シェア」の大きさの差も問題にならない。

  3. 「表現」はその「思想」をもって、世の中にどの様な「影響」を与えてもよい。当然、『「表現」の結果、とあるポジションが有利になるか不利になるかどうか』は、その「表現」の是非を決定付けない。

  4. 「表現」は、『価値観の自由競争(市場)』における競合によるものであるならば、その意図の有無に関わらず、人を傷つけてもよい(人に不快感を与えてもよい)。

  5. 概念・カテゴリー・属性等は決して誰かの占有物ではなく、「表現」におけるその使用に関して「当事者」が優先されるわけでもない。フリー素材。

  6. 「表現」は、具体的な「個別の私」からのみ制約を受ける。



ネット上で度々起こる「表現(の自由)」に関する喧々諤々*1は、おおよそ上記の事さえ踏まえていれば収まるのではないかと思います。逆に言うと、これらのうちの幾つか、もしくは全てに反している主張をしてしまう事こそが問題なのです。


――――


まず1について。これはつまり、『絶対に「正しい」とされる、そんな「思想」は存在しない。だからこそ、「思想」の媒体たる「表現」は常に「自由競争」の下にあらねばならない。』事こそが、「表現の自由」の根幹である、という話です。


また、「市場」の中で自身の「効用」を最大化する事は、個々の主体が持つ権利であるべきだから、という考えに基づくものでもあります。


ですから、もし1を否定しようとするならば、『全人類がそれぞれの権利を放棄してでもコミットすべき、絶対に「正しい」とされる「思想」が存在する』と主張し、証明しなければなりません。完全に狂気であり、全知全能の神の召喚でも試みた方が早いレベルではないかと思います。



ところで、「思想の自由市場」という言葉もあるのですが、それを用いないのは、「先達のxx先生が仰っていた(から、この主張は正しい)」といった論の立て方を、あまり望まないからです(別に参考にしないとは言っていない)。


もう一つは「思想の自由市場」という言葉にはどうも「真理への到達」とでも言えばいいのか、ちょっと意識高めのニュアンスがあるらしく、もちろんそれを含める事自体は構わないのですが、一方で例えば娯楽分野に関しては各々の「効用」の最大化こそが目的であり、「思想の自由市場」よりも広くカバーできる言葉が必要だった、という事です。






次に2について。法規制やその他の妨害によって、「自由市場」への参加、つまり「シェア」を伸ばそうとする表現行為自体が否定されていない事こそが肝要であり、実際の「表現」する際の難度(参入障壁)や「シェア」の伸ばしやすさは問わず、また仮に競合相手が強すぎて「シェア」が伸ばせないとしても、「市場」としてはそれは何の問題もありませんよ、という話です。


『競合相手が強すぎて「表現」しづらい風潮がある、「表現」してもウケない…等の理由から対抗が困難なので、競合相手を規制、もしくは抑制すべし』という考え方は、それが公権力による規制にせよ、それ以外の方法にせよ、明らかに「計画市場」であり、「自由市場」に反します。






次に3について。これは、『「表現」は「思想」の媒体であり、媒体による「影響」を肯定してこそ「思想の自由」が成り立つ』からです。人間にとって多くの「思想」は、プリキュアの掛け声の様なプリインストール型では無いのです。


また例えば「悪影響を与えてもよいのか!」といった反論が予想されますが、そもそも『「とある表現」には悪影響がある』みたいな考え方の時点で、思考が捻転しています。それを「悪」と設定するのも、結局は「別のとある思想」以上のものではなく、であればせめて『私(たち)にとって都合が悪い影響がある』と素直に言うべきです。






次に4について。『誰も傷付けないような「表現」は難しく、そうなってしまうのは避けがたい、仕方がない事だ』といった感じで捉えている人もいるでしょうが、それがまず間違っています。


「傷付く」「不快感」というのはつまり、「自身の価値観に反する価値観」との「競合」によるものであり、むしろ正当な「自由競争」の結果でしかないのですが、それをあたかも「外部不経済」によるものと勘違いしてしまっているのです。


もちろん、漫画・アニメ・ゲーム等は基本的にはあくまで娯楽であり、制作者にしろ消費者にしろ、他者の「思想・価値観」をディスる事を目的としたモノは、それほど主流ではないのだと思います。だからこそ(「オタク」の側でさえ)、娯楽が生み出される中で発生した「外部不経済」の様に誤解して捉えてしまうのだろう、と。


しかし実際は、例えば『私にとって、「オタク」系イラストは不快だ!傷付いた!』は、『私の持つ価値観と、「オタク」的価値観とが競合しています』の意味であり、それ以上でも以下でもありません。「市場」として極々正常な状態です。その傷付いた「思想・価値観」が、どれだけ当人のアイデンティティの様なものと深く結びついていたとしても、です。






5については、そのまんま。純然たる事実です。


もし否定するのであれば『概念・カテゴリー・属性等は誰かの占有物である』事か、『概念・カテゴリー・属性等は決して誰かの占有物ではないが、「表現」におけるその使用に関しては「当事者」が優先される』事を証明する必要があります。無理です。


一応述べておきますが、『あたかも“優先”が存在しているかの様なケース』を挙げるのは残念ながら証明にはなりません。逆です。それはそのケースが、5に反して間違っているだけの話です(そして恐らく1~4・6に反している可能性も高いのでしょう)。






6については、『「集合」は権利を持ちませんし、持つべきでもありません』で終了です。また、ここで言う「私」とは、私的所有という言葉の「私」とほぼ同じ意味だと考えてください(一応読みは「こべつのし」のつもりです)。


――――


以下、おまけ。


「表現の不自由展」の騒動を経て、「Social Justice*2」界隈もこれまでの事を反省してくれるのではないか…と期待した直後に「いつも通り」の件が起きたという事で、正直そこそこ落胆しています。


そして何よりしんどいのは、これまで散々理屈で追い詰められたせいでなりふり構っていられなくなったのか、それとも界隈の内側での「運動」が過熱してハイになっているだけなのか、それは定かではありませんが、相当に危うい主張を堂々とする様になってきた、という事です。




「Social Justice」はついに、『女性の「表象」』の『「価値観の自由競争(市場)」における需給関係』を明確に否定しました。




もちろん以前からそのきらいは十分あったのだと思います。また、『エロの判定が過度にセンシティブで、エロ排斥的な頭の固い奴』扱いされないために苦し紛れで持ち出して来た、という側面もあるのかもしれません。


それでも彼らが、とうとう「表象」(つまり上記で言うところの、概念・カテゴリー・属性等のフリー素材)の「自由」を否定する言説を、これ程までに臆面もなく行う様になったという事はつまり、それはもう完全に「表現の自由」と敵対するという宣言に他ならない訳です。その自覚があるのか無いのかに関わらず、です。
既に、「議論の相手として見る」フェイズは過ぎ去ったのかもしれません。



彼らは今、間違いを犯す事でしか自身らの掲げる「正義」を叶える事ができない…という状況にあるのでしょう。最早、「正解」を共有する事は不可能に近いとさえ考えざるを得ません。


『奴等の分かり易いバカさ』をピックアップしてくるのも結構な事だと思います。それはそれで、一つのやり方でしょう。しかし一方で今、重要なのは、もう一度ちゃんと「表現の自由」を理解し直し、それに反する「Social Justice」の危うさ、「思想・表現の社会主義」的志向を認識し、正確に危機感を高め、批判・否定する事なのではないだろうか…と、自分はそう考えます。