自分だけの現実。
http://d.hatena.ne.jp/episode_zero/20091125/p1
どうもこの手のアニメ批評(?)の読み方がイマイチ分からんのですけれども、
今回、佐天さんが献身的に初春の看病をしていて、彼女の(無)能力について改めて考えさせられる展開だったと思う。本当は彼女に能力が無いのではなくて、学園都市の統治機構が彼女の能力を測り間違えているのではないかという疑問。
超能力という意味での「能力」と、人間の総合力という意味での「能力」をごっちゃにして語られているので、この引用以下かなり意味が分かり辛い…。
つーか、スタウターに向かって「家事の上手さを加味していない数値なので、この戦闘力は測り間違いです!」って仰ってるみたいなもんじゃないの?とは思いますが。それはまぁいいのです。
それよりも気になったのは
スカートをめくるまで初春がパンツはいているかどうかは不明だが、スカートをめくって初めてパンツの有無が確認できる。それこそがパーソナル・リアリティ。
の部分。たぶん、ぜんぜんちがう。
むしろ
『スカートをめくるまで初春がパンツはいているかどうかは不明だが、スカートをめくって初めてパンツが有る事を確認できた。そもそも常識的に考えてもノーパンではないだろう。本人も「ちゃんとはいてます!」と言っている。それでも、「ぱんつはいてない、ぱんつはいてない、ぱんつはいてない、ぱんつはいてない」と妄想い*1続けることで、それを、その非常識な「自分だけの現実」を手に入れる。それこそがパンツナイ・リアリティパーソナル・リアリティ。』
たぶん、こんな感じなのではないかと思います。
そういう意味で、初春のスカートの中身を『確認すること』がライフワークな佐天さんは、自分だけの現実=パーソナルリアリティからかなり遠い存在なのだろうと考えられるのです。
*1:と書いて「おもい」と読む。